桃とざくろ

「再開します。」と言ってから、なあんにも更新してませんねぇ。ごめんなさい。

でも、かれこれ2年半ほどほったらかしにしていたブログを、なぜまた再開する気になったのかって・・。

なぜかね。なぜかね。ふと、思いついたんですよ。このあいだ。。

「私は生きている間にどれだけの人を幸せにできるのかしら。」って。



ずいぶんこのブログをほったらかしにはしているけれど、
私が他に開設しているどのブログよりも、なぜかアクセス数が高い。
更新していないのに検索ロボットやらが、やたら訪問しに来たり・・。あるいは一見さんとやらがなにかで「ヒット」したのかな、で。この中のいろんな記事を覗きみに来たりする。

私が書き散らかしたものを、世界中のいろんな人が拾ってる・・。

不思議だ。



幸せとは何かを考察する。
時間はあまりないけど、焦りとやらもあまりない。

こんなに狭い世界で、自分を苦しめている人はどうして?
ちょっとだけ力を貸してあげることも、ひょっとしたら私にでもできるのかしら。


Photo

*「桃とざくろ」というリクエストがあったので、その通りに描いたら、違う人が買ってしまった。久しぶりに見たら、ああこれが私のタッチなんだなー。と思う。










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「Pet Shop Boys」 は、悪阻の味。

ブラーの「パークライフ」というアルバムを聴いていて、最後にペット・ショップ・ボーイズのリミックス版があるのに気付いた。

「Pet Shop Boys」 「おお~懐かしい☆」 という世代である。


そもそも私は、幼い頃はクラシックに始まり、母のプレスリー、パットブーン、モンロー、で育ち、J-POP、ジャズを噛み、クラシック畑で最初の仕事をしていたのである。

毎日流れる、アシュケナージとかホロヴィッツ、アルゲリッチ・・。ラベック姉妹、ブーニンやキーシンが当時は流行ってて。そうそう。リムスキー・コルサコフのシェエラザードなんかも一か月ほど毎日かかっていたっけ。あれは私はとても好きだった。

お忍びで、リヒテルやジョージ・ウィンストンが来るような、そんな事務所だった。キーシンも来たがっていた。日本では中村△子さんや、園田高△さん、ザ△ラー夫妻がしょっちゅう来ていた。

19~20歳代の前半が、毎日こんな環境の中で仕事をしていた。それでクラシックが嫌いになったというわけではない。ただ、なんとなく「仕事だな~。」と感じるからである。
だから、プライベートでは、それ以外のものを聴きたいのである。

20歳のときに、助手席でガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」のテープを、カー・ステレオに挿入したら、嫌な顔をされた。(笑)いま思えば当然かもしれない。
当時はMTVや、ベストヒットUSAなどの80年代洋楽が花盛りだったのだから。
ただ、ガーシュウィンはジャズっぽいので、ドライブにもいけるかな?と、思ったのだ。

妊娠中や生まれた赤ちゃんに、クラシックを聴かせる人はよくいるけれど、私の場合は、タイトル通り。「Pet Shop Boysは、悪阻の味。」なのだ。
1988年に最初の妊娠をし、それでも毎日毎日慣れない運転をしていた。車がないと、病院にもスーパーにも行けないからである。

そして毎日毎日、出産するまでの間、悪阻に悩まされ続けた。運転中の車内やガソリンの臭いは、さらに吐き気を煽り、せめてもの音楽がないと、やってられないのである。
胎教とか、そんなことは考えていない。 いま好きなものを聴ければいい、それだけだった。

そしてまさに当時ブレイクしたペット・ショップ・ボーイズばかりを聴いていたのだ。

West End girls(1985年)
Always on my mind(1987年) 

などを聴くと、いまでも吐き気を催す。けれど、これは名曲なのだ。これを聴いて、後続の若いミュージシャンたちがまた影響されていったのだろう。
そう思うと、90年代が外せないのだ。音楽は繋がるものを発見するとオモシロイ。それは、クラシックでもジャズでもポップスでも。ジャンルは多いけれど、もとはひとつなのだから。



ちなみに、第二子の時は「「ROXY MUSIC」 は、悪阻の味。」と、なる。この時は、新しいジャンルを開拓したくても、する気がないほど長男の育児で弱っていたので、お気に入りを聴いていたら、「悪阻の味。」と、なってしまったのである。

出産して、「悪阻」から解放された後も、毎日車の運転は続く。そして音楽は外せない。生まれたばかりの子どもたちは車の中で、この後も嫌というほど私好みの音楽を聴かされ続けていた。


ちなみに、胎教と音楽。赤ちゃんと音楽にやっぱり関係はあるのか?と聞かれると、
私は「そうでもないよ。」と答えてしまうだろう。

今ではクラシックとJーPOP(特にaiko)好きの長男。そして、US寄りの洋楽と、アニソン(アニメソング)しか聴かない長女に育ってしまったからである。

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3月23日(金) 祖母と町屋②

そうそう。 余談ですが
京間と江戸間(関東間)の畳の大きさの違い、知っていますか?

現在では京都市内でも、京間のおうちはかなり減りました。
旧家や古い社宅くらいかなあ。
実家も妹の家も、もう江戸間です。

私と妹は、京間の三畳の部屋で育ちました。
二段ベッドが入り、学習机が2つ並ぶんです。

小学校の同級生に、一畳の自分の部屋を持っている子がいました。
おうちは旧家で、結構大きいんだけど
お父さんに造ってもらったのだと
仲のいい友達だけに、その部屋を公開してくれました。

一畳の部屋には、その子の学習机がすっぽり収まって
まだ新しい木の香りがして。
とってもうらやましかったのを憶えています。
三畳の部屋で、姉妹ゲンカばかりしていたから。


そんなふうに、京都の畳は1枚がとても大きいんです。



Kokorogu332

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3月22日(木) 祖母と町屋①

祖母のことを思い出していた。

長男の春からの一人暮らしで、また京都の街を上がったり下がったり。
私の頭の中は、毎日碁盤の目を行き来する。

私が15歳の時に、祖母は祖父と離れて暮らしはじめました。
変わり者の祖父です。
やっぱりずっと普通の夫婦というワケにはいかなかったんでしょうね。
子ども心に、あ。そうなんだ。くらいに、私も受け止めていました。

祖母が知り合いから借りたのは、家賃1万円の老朽化した町屋の一室でした。
高校に入った私も、時折「お泊りセット」などを持って、その部屋に泊まりにいきました。
祖母は来るたびに喜んでくれました。


今でこそ、京都の町屋は「あれよ。これよ。」と、もてはやされていますが
その頃の町屋は、こんなふうに老人の集合住宅みたいな感じにも使われていました。
1階には単身赴任の男性が。
2階には、祖母を含めて一人暮らしの老人が3人。
うなぎの寝床には、広い土間。台所。
共同便所のある坪庭。
祖母の部屋は、奥のいちばん広い京間の6畳間でした。

老朽化で傾いてしまった縁側からは、坪庭が見渡せました。

※2007/3/22 「祖母と町屋①」より。

Kokorogu331









就寝前30分で描いたのですが
さすがにキツいなー。 
かなりザツになっちゃいました。

もっと時間に余裕をもって、いつか描きたいなあ。

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