マドンナと投資のはなし。(わたしの投資1)

マドンナの「1990年横浜スタジアムライブ」を見ていた。自分は確実に歳をとったな。とあらためて実感した。
数いた80年代洋楽アーティストが大半消え去った中で、今でもこの人は相変わらずパワフルだ。そして20年前のこのライブビデオを見ていても、ちっともアーティスティックな古さを感じさせないのだ。彼女に関しては過去にふてくされてライブを降板した、中断したという話もあまりきかない。薬漬けになった話も聞かない。毎回仕事(ライブ)をやりぬく、そのために努力もしている。まあライブや詩の内容に関してはいろいろと問題を起こすことも多い人なのだが、根はマジメな人である。それはライブを観ればよくわかる。同世代のマイケル・ジャクソンは死んでから新たに評価を得ることの多い人だなと感じるが(これはよくあるパターンなのだが)、続行して今でも地位を固め続けている彼女の方が私は好きだし、これはある意味すごいことであると思う。


さて。マドンナの話から始まったわけなのだが、ここ最近どちらのブログも更新がおろそかになっている。仕事が忙しいというのも理由のひとつなのだが、実は新たに興味をもってしまったことに時間を割かれつつあるからなのだ。
その対象というのは、ご覧のように「投資」の世界なのである。これは私が人生の中で、きっと死ぬまで興味を持つことはありえないと思っていたくらい、蚊帳の外の世界だったものだ。それがなぜ?

お恥ずかしい話だけれど、ここで少し述べてしまおう。2007年7月。とある取引先の地方銀行で、私は50万円を投資信託につぎ込んだ。しかも全部ひとつの商品に・・・。だ。
昔から私は「手元にあると使うから。」の理由で、少しお金がまとまってくると、普通預金や定期預金ではなく、「もう少し自分の手の届かないところへ。」という考えで、子どもの学資保険(教育積立)の全納払いなどをしていた。元年生まれの長男の予定利率は当時6.5%であった。生まれてから月々積み立てするよりは、年払いにしたほうが1か月ぶん浮く。そして、残り6回分の年払いを全納してしまえば、さらにお得だ。という考えのもとだ。そして月々年払いのために積み立てていたお金は、また有効なものに使えるではないか。
2007年に満期を迎えた長男の学資保険は(こちらは某保険会社のもの)満期額に対して95%しか払っていない。しかも満期時には6.5%のおこづかい付きであり、18年の間は一般の大人の保険と同じ保障も付いていた。という具合だ。
そんなに得した気分で満期を迎え支払われた現金を、私はまた「手の届かないところ」へ少しだけ移動させたのである。
アメリカでは「サブプライムローン」がじわじわと深刻化されつつあったにも関わらず・・。

―これは自分の無知さを呪うよりほかにない。

学資保険(教育積立)の全納払い。1994年に組んだ住宅ローンではぜったいにボーナス払いにはせず、月々払いで切り抜ける。22歳で結婚して(主人は24歳、大学を出て2年目の年)決して高収入ではないけれど、家計をやりくりしてきて、家も持てたし車も持てたし。子どもたちの教育資金もあと数年。なんとかなるだろう。絶対の自信とはいかないまでも、そんな自分には少しばかりの自信があったのだ。それが・・。だ。


先日銀行に行って、もし今解約するとしたら・・の残額を問い合わせた。驚愕した。50万が29万8千円になっているのだ。基準価額は10200円ほどから6236円(2月26日現在)に下がっている。当然だ。
日々忙しいから投資信託でプロに任せて、基準価額が下がり始めたときも、忙しいからとほったらかしにしていて、「まあそのうちまた元に戻るだろう。」なんて思っていたら。これは株の塩漬け状態も同じこと。さあどうしよう。ということなのである。

バランス型。プロの運用。。「時代が時代だから仕方がない」という人もいるのだろうが、じゃあこれはあっても無きに等しいのではないか。当時退職金のほとんどをこの投資信託につぎ込んでしまった人もいるのではないか。リスクの説明もいい加減に、いいことばかりを窓口で並べたてていたのではないか。なぜあのとき「商品の分散」であるとか、「積み立てでのリスク回避」ということを提案してくれなかったのか。あろうにも地方銀行の本店で、である。いや。それよりも無知だった自分が悪いのだから、少し勉強してみよう。と、いったのが実は始まりであり、きっかけであるのだ。

マドンナの横浜ライブから20年が経つ。そしてあと20年すれば、私は間違いなく65歳になるのだ。いま、自分の老後をやっと見つめる日が来たと思っている。退職金をもらってからの投資なんて、本来あり得ないことだと私は思う。いまの基準価額がもとのラインに復活する日が来るなんて、いったい何年後?なのか。65歳からの長期運用なんて、20年が限度じゃないか。私は子どもたちには自分のお葬式代だけを残せばいいと思っている。カードやローンでお買い物をしたら、それが全部支払えるくらいの自分の死亡保険をかけておけばいい。


こんな時代。歳をとってからリスクを背負うのでは遅すぎるのだ。いままだ元気なうちに少しくらいのリスクを背負ったとしても、取り戻せる原動力はまだあるのだから。






※こちらのブログでは6年目になろうとしています。記事数670件コメント数2224件(ゲストさまからのコメントはうち半分)だんだん重たくなってきましたので、もうひとつブログを作ってそこに移動しようと考えております。長いあいだ見ていただいてありがとうございました。あたらしいブログが作れましたら、ここにリンクを貼るつもりでいます。新しいブログでは、金融や経済、投資に興味のある方のご意見も頂戴したいな。。と、思っています。そして絵画や映画・・そして京都関係は引き続き行うつもりでいます。どうぞよろしくお願いいたします。

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ミッキー・ロークと阪急百貨店 (たまに映画22)

ナイン・ハーフ (1985年 アメリカ)
エンゼル・ハート (1987年 アメリカ)

「ミッキー・ローク」と言っても、いまやこの俳優さんを知ってる人はどれくらいいるのだろう。最近では、完全復帰したらしい話も聞くが、復帰後の彼には私はまだお目にかかってはいない。
けどまあ、昔の・・この頃のセクシーさはもうどうやっても蘇ることはないのだろうけど。。

こちらどちらも劇場公開で観にいっただけに、ずいぶん思い入れがある映画だ。とにかく飛ぶ鳥を落とす勢いのごとく、この頃のミッキー・ロークはセクシーでどちらの映画もハマリ役だった。

「ナイン・ハーフ」・・9週間半のことを指し、セクシーで何やら危険な匂いのするアブナイ男、ミッキー・ロークに、いつしか身も心も溺れてしまう女、キム・ベイシンジャー。当時は若い男女の間で「ナイン・ハーフごっこ」と、いうものが流行ったくらいである。映像の中のセックスの在り方はまさに社会現象ともなる。

「エンゼル・ハート」・・時は1950年代のニューヨーク。バブル当時の現代から時は遡るが、これまた危ない探偵役ミッキー・ロークのセクシーさと、悪魔・宗教・異国、異文化の怪しく危険な香りを放ちつつも、ラスト・シーンはねっとりと後を引く作品。

共演している「ナイン・ハーフ」のキム・ベイシンジャーも、とにかく魅力的な女優さんで、私は大好きだ。エンゼル・ハートにしては、あの大御所の「ロバート・デ・二ーロ」がなんと、悪魔役で出演している。この人のすごいところはどんな役でも演技ができる。役を選ばない。「レナードの朝」の彼とはとても同一人物とは思えないくらいの役どころである。(当時はふたりの共演に関して、前評判はかなり高いものだった。)
当時のセンス、オシャレ先取りのオカルト・サスペンス映画である。

1985年(20歳)
1987年(22歳)

当時の私の年齢である。「ハイソ(high society)」という言葉が流行り、少しでも価格の高い服が売れ、「BAL」のバーゲンでは徹夜組が並ぶほど。ディスコが次々とオープンし、待ち合わせは「BAL」ビルの前か阪急百貨店。


その阪急百貨店京都店も今年で幕を閉じる。オープンは1977年。わずか33年である。立地条件は良しとするも、やはり京都人の心を長く掴むことはできなかったようだ。

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オンナノコに生まれたからには☆ (たまに映画21)

THE HILLS シーズン1~3 (2006年 アメリカMTV)



さっさと、トップページを変えてしまいたかったのもある。(前回のは「食人族」だったし。。)
学校の帰りにあんな映画を観に行く女子高生だったのだから、ひょっとして私は当時「スケバン刑事(デカ)ふうアサミヤサキ」のような女の子だったと思われているかもしれない。
残念だけど、制服のスカートはひざ上だったのだから、それはありえないです。いや・・。それのほうが怖いって・・??(笑)


今度はがらりと変わって、アメリカ(ロサンゼルス)の女のコたちの日常を描くドラマだ。

オシャレ・恋・仕事・友情。泣いたり、笑ったり、裏切られたり、また仲直りしたり。
登場人物はまず高校を卒業したての20代の女の子4人。主人公のローレンは故郷を離れファッション雑誌会社のインターンとして働きながら、専門学校に通うという、そんなスタートから始まる。

女の子たちはみな、自分の子どもたちと変わらない年齢層。けれど、観ていて楽しく、自分のバブル時代をほうふつとさせる、このおもしろさは何だろう。。と、思ってしまったくらいである。
好きな仕事をして、お金はみんなファッションに使って、週末はナイトクラブで遊び。(ただお酒を飲んでハジケてるだけなのだが。)バースデーには恋人から、高額のプレゼント。(これがシャネルのバックだったり、子犬だったりする。)だけど、恋にも仕事にも自分を磨き、常にステップ・アップすることを忘れない。
いや。これ、あの頃の日本やん☆ と、いいたくなるくらい、若い子たちがほんとうに楽しげで幸せそうなのだ。
細部をみてしまうと、想定30万円はするだろうシャネルのチェーンバック。1人が一台ずつは所有するマイカーはどうみても、どれも300万円前後くらいはするだろう新車。(シンプルに黒が多い。)そしてプール付きのアパートメント。けれど同年齢の男の子たちはいったい、何の仕事をしているのだろう?と思うほど昼間にぶらぶらしすぎなのだが。。

「男は使い捨てよ。」と、言ってる女の子が、どうしょうもないバカ男にハマってしまったり。
仕事より出世より、男を選んでしまう、ある種の若気のイタリ。。そして後悔・・。
うーん。あるある☆ どれもあるよ~。こういうのって、人種関係なく共通なんだね~!

そしてもうひとつおもしろいな。。と思ったのが、ロスの若者たちの間では、お箸を使えることがステイタスなのだ。デートの前に練習だってしているくらいなんだから。
日本食もあたりまえ、日本料理店はデートでもバンバン使われているし、牛角の焼き肉をカップルがつついているのには驚いた。

20年以上前に初めて、雁屋哲さん原作の「美味しんぼ」を読んだとき、お箸は野蛮だと、使うのを恥ずかしがっていた女の子が登場するシーンがあったのでは。。

そんなことを思い出した。はるか昔。。

アメリカの女の子のファッションも変わった。黒が多く、地味な色や柄が多くなったように思う。(DVDのパッケージで見てもわかるのだが。)ピンクのタンクトップに、ブルーのホットパンツの組み合わせなんて、もう「日本観光のおばさん」でしかないのかもしれない。

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若気のホラー。(たまに映画20)

食人族(1983年 イタリア 原題:CANNIBAL HOLOCAUST)

これがイタリア映画だったとは・・。


まあ、なんて悪趣味の映画を観に行ったのだろう。。100円でレンタルビデオを借りられるようになって、足しげく通い始めたレンタル店に、フツーに置いてあったんだから、びっくりしたのは言うまでもないけど、なんだか弱みを握られたような。。今は2009年(去年の年末のこと)じゃない?なんでこれが・・・。
当時の記憶がフツフツよみがえってきた。


時は1983年。私はまだ高校2年生だった。―Wikipediaをひもといてみる・・。 
そうそう。この年、お正月映画だった「E・T」には興味を示さず・・。これが京都で上映されたのは、もっと後になって、暖かい時期だったような気がする・・。授業が5・6限とも休講になって。。(当時の府立高校は先生もサボリ気味)学校から制服のまま友達と観に行ったんだっけ。印象はただ・・。いやもうこれは、気持ち悪さが残っただけ。。え?? 「TVではこれ以上お見せできません」・・。そうそう!このCMに騙されたんだよね。ああ~若気のイタリ!だってまだ10代だったもん。これってドキュメントだと、44歳になる今の今まで信じてたのに?? 作り物だったの?? あ~・・。なんだか安心した。でもイタリア映画よね。これ。こんなに趣味の悪いのもあるんだ・・。 そうそうウミガメの解体シーン。。目に焼き付いてるよ。。映画人生最大の失敗作。自分の趣味の悪さを言いたくなかったけど、もうここらでカミング・アウト! あはは。。


とういうわけで、言い訳だらけですけど。お金を出して観に行ったのは事実です。
2008年新編集を含む再発版がリリースされたんですってね。 興味のある人はどうぞ☆
・・・・オエッ・・。

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恐るべし恋愛映画 (たまに映画19)

追憶(1973年 アメリカ)


恋愛映画をもうずいぶんと観なくなった。あの「タイタニック (1997年)」が、恋愛映画だとしたら・・。うーん。。それが最後になるかもね。

観なくなった原因。まずひとつに自分に関係がなくなったから。まあ、長いあいだ子育てに追われる主婦でもあったし、恋愛もすることはこの先ないだろう。(しばらくは?)そんな感じで日々過ごしていたせいもあったからだろう。

そして、もうひとつ。
「お互い気になっていた存在だけれど、なにかと反発しあう男と女。だけど、最後はラブラブでハッピーエンド。」
まあよくありがちな、この手のストーリーは、とても嫌いだからである。。


だけれど、この有名なバーブラ・ストライサンドの「追憶」・・(邦題もまあまあいいやん。)、この恋愛映画は、まったく逆を行くストーリーで締めくくられている。だから好き☆ なのである。
そして音楽は誰もが一度は聴いたことのある(日本では長い間ネスレのCMに使われていた。)70年代の物悲しげな、でもとても美しいメロディー。

第二次世界大戦前の学生運動から始まり、左翼思想である自分自身を常に貫く女性は、最後は愛さえも捨てることができる。(私はそう感じたのだが。)


まあ。男性にとってはこの手の女性は、きっとかわいくない・・んだろうな。
だけど、頭が良くてハンサムで余裕でモテモテだった、ロバート・レッドフォードがいつしか彼女をいとおしむようになる。ふたりは瞬く間に恋に落ちる。

だけれど、彼女は彼よりも自分のやりたいことを貫いてしまう。ふたりの間に次第に溝ができてしまう。そしてついには生まれ来る子どもの父親よりも、彼女は自分にとって大切なもののほうを選んでしまうのだ。


女はパーフェクトな動物である。なんてったって、子どもを産むことができる。自分というものを持っていれば、人生誰かに依存する必要はない。
うーん。カッコイイ☆ バーブラ・ストライサンド。 この女優さんは決して美人ではないんだけれど、私は好きだ。それでもって映画の中の彼女は実に個性的でかわいい。



そして原爆反対を訴えるラストシーンと、チラっと出てくる藤田嗣治の絵も、私は見逃さなかった。

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2010年☆ 今年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます。
2010年こちらのブログでは、最初の投稿になります。

さて、新年明けてどうしようかなぁ。と、思っていたこちらのブログですが、引き続き映画のことも載せていきたいなぁ。と、思っております。


なかなか更新も時間が取れなくて申し訳ありません。(文章を書くのが遅い・・。っちゅうのもありますが。)
レンタル料わずか100円で、(我が家はいまどき衛星放送、ケーブルTV等には加入しておりません。)縛られることなく、好きな時に感性のあちこちを刺激される快感にハマってしまう・・という自分が好きです。

近いうちの今後の予告といたしましては。



追憶(1973年 アメリカ)
ヒルズ(シーズン1~3 TVドラマ アメリカ)
フルハウス(TVドラマ アメリカ)
食人族(1983年 イタリア)
海の上のピアニスト(1998 イタリア)




などを考えております☆
古い映画は当時の思い出やその時々の感情を織り交ぜつつ、私らしく(ヘタな文章でもいいやんか。)的に綴っていこうと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。


本年、映画鑑賞デビュー、35年になります。 隣の母はもっとすごいですよ☆


(最近恒例の新年会 京都市内の某ホテルにて。) 

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美しき隠喩 (たまに映画18)

イル・ポスティーノ(1994年 イタリア)





明日には年賀状が配達されるであろう。今日は大みそか。12月31日・・。
毎年のことだが、年賀状はいつもギリギリの作成である。昨夜、最後の投函をして終わった。
いつまで続くのであろう。この決まりごと。 とは、思うけど、元日に我が家のポストの「かたん」という閉める音がすれば、誰かがすかさず取りにいくのだから、やっぱりそれはそれで楽しみなのかもしれないな。


ということで、今年最後の映画鑑賞は、私の好きなイタリア映画で締めくくった。

映画を膨大に観ているわけではないのだが、アメリカ(ハリウッド)映画と比べ、フランスやイタリア・スペイン映画は「ああ~!観終わった☆」という娯楽要素が少ない。淡々と始まり、だけれど、観終わった後、心に深く刻まれるものはハンパじゃなく、美しい。それは、エンド・クレジットが流れると同時に、席を立つ映画であったか、読めもしないエンド・クレジットをしばらく観続けている映画であったかの違いによるものだろうと、私は思う。

この映画は実在した詩人「パブロ・ネルーダ」に基づいて作られた映画である。私は恥ずかしながらこの人を知らなかった。だけれど、映画によって、この素晴らしい人の存在を知りえたのだから、やっぱり映画は素晴らしいと思う。しかもたった100円でたくさんの世界が広がるのだから、こんなに充実したお得感はほかにない。

この流れる109分の世界の中には、たくさんの美しい宝物がぎっしり詰まっており、イタリア南部の島の山の美しさ。海の美しさ。
そして人を愛することの美しさ。
仕事に対する情熱というものの美しさ。(主演・脚本の「マッシモ・トロイージ」はロケの最中に倒れ、撮影後の12時間後に亡くなっているのだ。)
そして、パブロ・ネルーダが放つ、言葉の隠喩・比喩の美しさ。である。
何も持たない郵便配達員の青年が、島一番の美女を射止めたのは、言葉の「隠喩」であった。

私はもちろん、最後は読めもしない「エンド・クレジット」をしばし眺めたまま。。美しさの余韻に浸れた映画である。
(同じく主演に、「ニュー・シネマ・パラダイス」のフィリップ・ノワレが好演している。)


さあ。明日から2010年が始まる。相変わらず世の中は厳しい。日本はどうなるのかと思ってしまう。このままじゃ、子どもたちの将来も危ぶまれるし、私たちの老後にも目をそむけてしまいたくなる。(最近、自分の老後をじっ・・。と考えてしまう。)
けれど、もし・・。自分に何もなくなってしまったときに、感性という宝物が少しでも残っているのなら・・。
それはそれでやっていけるんじゃないかと、思ってみたりする。

戦争の真っ最中に、美しい京都の風景をスケッチし続けていた。そんな祖父のことを最近強く思ってみたりするのだ。

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イースト・ウッドのささやき。。 (たまに映画17)

グラン・トリノ(2009年)

今年観た映画の中で、ダントツで一番の作品である。― というのはメールで送られてきた息子の評価。
なので、新作にも関わらず90円でレンタル可能となっていたため、借りてみた。

ええと、まずは「クリント・イーストウッド」について。
クリント・イーストウッド作品。主人は「ダーティ・ハーリー」シリーズを毎回欠かさずTVで観ているものの、私は

アルカトラズからの脱出(1979年)
許されざる者(1992年)
パーフェクト・ワールド(1993年)
マディソン郡の橋(1995年)

くらいである。 アメリカ映画を代表する俳優さんなのだが、本当はあまり好きではなかったのだ。なぜならそれは、TV再放送の吹き替えの声優さんに原因があったのだと、今は思いたい。
実は私たちの世代は大半が「クリント・イーストウッド=山田康雄」 という時代で育ってきたためである。山田康雄さんといえば、誰もが知る「ルパン三世」の声だった人である。

イースト・ウッドとルパン三世。似ても似つかない容姿と性格。目を閉じればイースト・ウッドの役柄はすべてルパンの声。山田康雄さんの声が一番適役だったらしいが、果たしてそうだろうか。それがいいと言う人がたくさんいたのも事実だろうけれど、私としては正直あの違和感はずっと拭いきれないものでいた。。
そもそも幼稚園児の頃から、「ルパン三世」がTVでスタートし始め、小学生の頃は2幕目のルパン三世。そして中学生の頃は名作「カリオストロの城」。あの情に深いけれど、ちょっとエッチで軽いノリの・・・そう、あのルパンの声は、もうずーっと山田康雄さんの声で無くてはならなかったのだ。(今では山田康雄さんの声以外のルパンは私は観ない。)やはりしぶいイースト・ウッドには、別の人に。しかも、もう少ししぶめの声であってほしかった。そう、子どもは混同するのだ。個性の強い両者ならとくに。。

それから映画を吹替えで観ることは、まずないのだが、(TVの再放送ならば仕方ないのだが。)それが原因でクリント・イーストウッドを好きでなくなったのが、実は正直な話なのである。




前置きが長くなってしまったが、この映画、ラストシーンでは号泣。過去、上の4作品の中で「アルカトラズ~」以外は同じくラストシーンで号泣していた。
長年連れ添った妻と死別し、よりいっそう「頑固ジジイ」になった主人公(イースト・ウッド)が、文化も慣習もちがう異国人に心を開いていく・・。戦争での後悔、ずっと引きずっていた人生の結末は、武器を持たず愛する人を守ることで終える。
とにかくカッコよすぎやん!イースト・ウッド。頑固なジジイでも、とにかくカッコイイ。あんな爺さんいやへんで。もうどの映画も魅せ過ぎやがな。怒んでほんま!しかも女の泣かせ方(お涙頂戴)上手すぎやん!

そして、この映画の中でいくつかいいと思ったのは、決して美男美女でない俳優陣を使っているところ。映画に味が出ているし、人情味も抜群に醸し出している。異国人異文化の、いいところをちゃんと言葉にしているし、映画のなかでも認めあっている。
ただチョット大人的な見地から頭をよぎったのは、低迷し続けているアメリカ自動車業界を持ちあげるべく、広告的なモノ(シーン)。たとえば、愛情を注ぐ少年を傷つけ、少女をレイプした、憎むべき奴らが乗っていたのはHONDAだったり、情も薄れがちな長男息子はTOYOTAのトップセールスであったりするのだ・・。
そして、人生の結末、唯一心を交わし合えた少年に遺言で贈ったのは、なんと言ってもビンテージ・アメリカ車「グラン・トリノ」なのである。

「見直そうよ!アメリカ車。こんなにカッコいいんだから☆」名優イースト・ウッドの裏からセールスマン的な影の声がささやく・・。

あああ、大人っていやだな! だけどねぇ。2台もモロ日本車が分かるようにしてあるっていうのはどういうことよ・・。ひょっとして妬み??意外と心の狭いアメリカ人??(これで私はアメリカ映画、「タッカー(1988年)」をまた思い出すのだ。)


ということで、最後は日本車のフォローで締めくくろう。
余談になるが、主人が独身の頃から乗っていたのは「HONDAプレリュードXX 1800CC」 こちらは長男が小学3年生の時まで、2ドアスポーツタイプにも関わらず、走り続けてくれた。(ま、丈夫なのだ。)チャイルドシートも取り付けて走った。トランクには幼稚園のお昼寝布団を何度も積んで運んだ。もちろん2人の子どもの悪阻で苦しんだのもこの車だ。海に行ったり旅行に行ったり、デートから育児まで、ほんとうに活躍してくれた車だ。

しかし長年愛着のあったその車は、さすがに子どもたちがムクムクと成長、2ドアでは狭くなったため手放した。そしてそれは免許を取ったばかりの知り合いの息子さんに譲ってあげた。ボディも室内もとてもきれいなままで。。(車内ではおやつ禁止にしていたくらいだから。)
そして「また若い人の運転でいろんなところまで走ってね。」と、いう思いを添えて。



車を買わない(買えない)若い人が増えている。時代は変わってしまった。
車は青春とともに、人生のいろんな思い出を乗せて走る。そんな思いがアメリカ、そして日本に共通する映画だな。と思った。

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ゲルニカを思い。 (たまに映画16)

蝶の舌(1999年 スペイン 原題La lengua de las mariposas 2001年 日本)

100円で借りられる旧作DVDも、観たいものはほぼ底をついたよう。 田舎の小さなレンタル屋さんでは圧倒的に数が少ない。(マイケル・ダグラスの「コーラスライン」もないくらいだから。。)


娘が教職の道を目指すことになりそうだ。かつては私も少しだけそんな思いがあった。私の父もそう。実は地元の美術教師を諦めて、京都に来た人だから。
そんなことがふと頭をよぎり、手に取った作品である。

スペイン内戦前の、美しい街並みを再現した映像はとてもすばらしかった。
そして、何も言わず。ただ秀作とだけ伝えておこう。
子どもたちには、勉強以外の、「大切なこと」を少し伝えていきたい。教師という職業をするならば。
そして、これからの日本の子どもたちに。


しばらく、エンド・クレジットを見つめたまま。ラストシーンが頭から離れなかった映画である。そして心で泣いた映画である。


子どもは知っているのだ。きっと、なにもかも。。 

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二人のイタリア人監督。 (たまに映画15)

テオレマ(1968年 イタリア  1970年 日本)

この映画を地方のレンタル屋さんで探すのは、至難の業かもしれない。けれどひょっとしたら都会にはあるかもしれない。


数日前、記憶の片隅にずいぶんと付着していた古いマイナーな映画を、何気に「Wikipedia」で検索してみたのだ。そしたら、あるやん! アマゾンでもみたらDVDになってるやん! そんでレビューもすごいやん!の映画である。

これを初めて観たのは、20年近く前の深夜TVである。 当時、ビデオレンタルもまだまだ地方では高額?だったため、私はよくTVの深夜放送を利用した。これは意味不明なタイトルに惹かれて予約録画しておいたものだった。

「好きな映画は?」と、聞かれて、その映画である程度その人の性格を判断できるかもしれないと私は思う。いろんなジャンルを混ぜこぜにして、10本くらいマイベストを出せというのなら、私はこの映画も入れておこう。
そして、この映画を観た人は、はたして私のことをどう印象づけるのだろう。それは楽しみでもある。

ピエル・パオロ・パゾリーニ監督のこの作品。 まず私を惚れさせたのは超難解な60年代イタリア映画だということ。
そして音楽は有名になる以前のエンニオ・モリコーネ作品であるということだろう。
一口にこの作品を紹介するのは難しい。けれど、このピエル・パオロ・パゾリーニ監督をまたもや「Wikipedia」で、調べてみると、さらにこの人物のとりこになってしまう。私はそう覚醒した。

私は彼のほかの作品を知らない。ただこの一作品で、彼の全てを観たくなってしまったのだ。映画好きなのに「いまさらながら。」と、笑われるかもしれない。けれど、映画というものの大半を感性で受け止めて観ている私にとっては、監督・制作・原案・・・などは、正直あとから付いてくるものなのだ。




侮れない深夜放送の映画。余談だが、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、母が深夜放送で観て大絶賛し、私に勧めた映画だったのである。後に私は完全版がDVDで発売される時には予約までして購入したくらいである。
マイベストの中でも上位を占めるこの、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、イタリア人であるセルジオ・レオーネの遺作である。


ピエル・パオロ・パゾリーニ。セルジオ・レオーネ。この二人がもっと長生きしていたら・・。と、私は残念でならない。




  

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アラフォーは外せないっ☆ (たまに映画14)

ファッションが教えてくれること(2009年 現在公開中)

Photo_2











昨日、またまた熟女仲間4人(このあいだのメンバー+1人)で挑んだ映画である。こちらはミニシアター系。
「プラダを着た悪魔」のモデルとも言われる、米版ヴォーグの編集長「アナ・ウィンター」のドキュメンタリーである。

アラフォーはまだまだ元気なのだ☆そして遊び上手♪もちろんファッションにも敏感なのである。
ミニ・シアターは都会にしかなく、2時間がかりでこの映画を観に行ってきた。私は都会に出て久しぶりに若い子をたくさんみた。少子化といえど、まだまだこんなに日本には若い子がいたのだ~。と感動してしまったくらいだ。
現実、それはいかに自分の住んでいる場所が、少子高齢化を物語っている。それを示しているに違いないのだが。。

さて、アメリカ女性の10人に1人が読むという、米版「VOGUE」。編集長「アナ」の一声で世界のファッションは大きく動くのである。事実この実績はかなりのものであるから、誰もが従う。有名デザイナーにフォトグラファー、みんな彼女のいいなりであるからおもしろい。

アナの言う自分の長所は「決断力」。 そして時には冷酷さが伺える。(ビジネスに情はあってはならないのだ。)
世界のファッション業界の頂点に立つ彼女が、実は「60年代のロンドンファッション」に刺激されて、この道に入ったのだから、「ああ☆『オースティン・パワーズ』じゃん!」と、私がこの映画を3倍楽しめたのも、それはそれは2時間がかりで大阪梅田くんだりまで出てきたかいがあったというもの。

しかし、おそるべしファッション業界。雑誌の表紙の写真ひとつで、その年の流行に大きく移動し、そしてお金も動くのである。


そんなキャリア・ウーマン「アナ」にも弱点がある。それは「娘」であるとか。
やはり母なる一面は世界共通。 娘の話にほころぶ顔が実にキュートで印象的だったのである。




※「オースティン・パワーズ」(1997年~ のオバカ映画。60年代のロンドンファッションが楽しめる。)

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ジョニー・デップのふたつの顔 (たまに映画13)



シザーハンズ(1990年)
ギルバート・グレイプ(1993年)



どちらも今をときめくジョニー・デップの古い作品である。
ちなみに「シザーハンズ」は66歳の母が大好きな映画であるし、「ギルバート・グレイプ」は、ラッセ・ハルストレム監督作品が好きな妹のおすすめである。

母は、ジョニー・デップと、キアヌ・リーブスと、ブラッド・ピットの区別がつくくらいの映画好きで、3人のイケメン俳優の中では、ブラッド・ピットが一番のお気に入りなのである。ブラピは目がいい(優しい)し、ジョニー・デップは目がきついとか。ふうん、なるほど。
「オーシャンズ・11」を観ないで「オーシャンズ12」を観に行くくらいだから、たぶん今では私よりも多く劇場公開に観に行っているのではないかと思う。
都会生まれで都会育ち。京都から一歩も出たことがない人だから、私の嫁ぎ先のように、映画館のない町なんて、とても考えられない人である。


母はきっとジョニー・デップよりも「ティム・バートン」の世界が好きなのだろう。おとぎ話のようなこの映画が再放送されると、いつも娘に「おばあちゃんこの映画ものすごい好きやねんで。」と、説明するほど。お菓子のような街並みや、個性的な登場人物がとても魅力的であるらしい。しかも若かりし頃の「ウィノナ・ライダー」がとてもかわいらしい。

なのに実家にはDVDやビデオデッキなるものが一切無いのだ。酔うほどでかい液晶テレビは早くに購入したのだが、もっぱら映画鑑賞はテレビでの深夜再放送。そして劇場公開のみである。
だけど、映画のセンスはなかなかのものだと、娘の私は思う。母から勧められた映画はたいていロングランで評価の高いものであるから不思議な人だ。

そうそう。「オーシャンズ12」はわけがわからないと言っていた。そりゃそうだろう。続編なんだから。


そして妹。「京都シネマ」の会員になっているほどの映画好きである。妹のセンスは少し異質である。一時期は「アカデミー」よりも「カンヌ」、マイナーなフランスやスペイン映画を観まくっていた。あの「ニュー・シネマ・パラダイス」を予告から目をつけていたのだから、大したものである。
この「ギルバート・グレイプ」は確かにジョニー・デップもいい味を出しているし、キャストも○。なかなかの秀作。子どもの頃のレオナルド・ディカプリオも助演していて、彼は実はすばらしい演技力の持ち主であることがわかる。(この映画で助演男優賞にノミネートされたほど。)かえってタイタニックに主演で出なければよかったんじゃないかと思うほど。わからないものだ。

ということで、私たち姉妹は母の血をひいての映画好きなのである。 えっ?そして父は。。?

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観に行かなかった。 あのとき。 (たまに映画12)

風の谷のナウシカ(1984年)

高校を卒業して。そして春休みの上映だった。


3年生の時に付き合っていた、彼とのことである。
金閣寺の裏、左大文字山のふもと付近に彼の自宅があり、よく遊びに行ったのだ。御室仁和寺の八十八か所へもいっしょに登った。比叡山に人工スキー場がまだあった頃、いっしょに滑った。マクドナルドの金閣寺店(いまも健在)では閉店間際まで、よくおしゃべりした。
帰りは、嵐電の北野白梅町駅まで送ってくれた。
私は運動オンチだったが、彼は学年で一番運動神経がよかった。

卒業してからも、原付の免許をいっしょに取りにいったり、春には新しいスクーターの試運転がてら、高雄ドライブウェイを走った。
まあ、しばらくはふたり仲がよかったのだが、彼は浪人生。私は社会人。卒業後の進路の違いが、二人の距離をずいぶんと引き離してしまう。これはもう自然の成り行きなのだ。お互い見える世界が違ってしまったのだから。

いまでも夢に時々出てくるくらいだから、自分でもずいぶんひどいことをしてしまったと思っている。けれど、今となっては、むこうももう記憶にないだろうけど。

その彼が「観に行こう」と言っていた映画なのだ。
残念ながら、当時の私はそのセンスについていけなかったのだ。そう。アニメ嫌い。今でこそ、この映画の評価はだれもがうなずくほど、高く、宮崎駿は知らない人はいないほどの有名人になっているのだけれど。

1984年3月。公開は数々のアニメ映画に埋もれてのものだった。
この映画が、TVで再放送されるたびに、なんだか悔しい気分になる。そして今夜これを書いていて、また夢でうなされてしまうのだろうか。



私は案外気が小さい。。

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画家という肩書きを持つ男たち (たまに映画11)

クリムト(2006年)
モディリアーニ(2005年)
宮廷画家ゴヤは見た(2008年 日本)

先週、クリムトの映画が最終で、最近の画家モノはとりあえず制覇。これ以外にあったらぜひ教えてください。(※「真珠の首飾りの少女」は、画家よりもモデルにかなりスポットを置いているようなので、あえて外してあります。)

一口に「職業=画家」という肩書きを持つ人たち、一般の人々の印象はどのようなものだろうか。
この中で、生存中に名声と富を得ているのは、クリムトとゴヤ。ゴヤは宮廷画家でもあったため、普通に仕事をしていれば、その富は生涯保障されるものであろう。けれど映画の中では、「手も描きますか?」と言って、難しい手の値段まで、料金追加の交渉をするほどだったから、自分の仕事に対する報酬にも、商売人のごとくシビアな人物であったのかもしれない。

そして「クリムト」。
モデルに触れないと描けない。とか。関係を持ったモデルたちは、たくさんクリムトの子どもを生んでいる。子孫はいまどれくらいいるのだろうと思うほどだ。モデルを差し出すものまで現れる。
私の祖父が美人画専門で、中にはヌードもありだったということから、私がこの映画を観ていかに気分を害したかということはいうまでもない。


モディリアーニはどうだろう。

画家というものは、仕事の質と収入は必ずしも比例しない。それ以外に大きく影響する部分がある。そういうものをこれらの映画で少し確信できたような気がした。


よく、「祖父が日本画家で。」というと、子孫は少しばかり裕福なんじゃないのかしら。と、見られることも多い。けれどまったく逆で、描いた絵が即、お米になったり、電気代になったりするのだ。売れる人はほんの一部、氷山の一角なのだ。
売れない(売れていた頃もあったのだが。)頑固な絵描きと添い遂げた祖母は、祖父より11歳も年下だったのに祖父より4年も早く亡くなってしまった。ずいぶんそれは苦労したのだ。
去年師事してもらった日本画の先生は、大きな賞をもらってられるにも関わらず、いつも着ている服装はヨレヨレのシャツだったり、毛玉がついていたり・・。(笑)ま、これは服装のセンスの問題でもあるのだろうが。(笑) 
とにかく、そういう意味でもほんとうに公平じゃない職業だと思う。  

映画では「クリムト」に出てきすぎの全裸のモデルたち。(しかも無修正) 少しなら構わないけど、正直気分を悪くする。全裸のモデルは芸術になってこそ初めて美しいものではないのか?(男性はまた違うのだろうか?)、女性の私から見た目では、生々しすぎる。 クリムトの芸術よりも印象づいたのは、ただそれだけ。
「~ゴヤは見た」では、前にも書いたように、キャストの演技が素晴らしい。映画では少し欲深な人物像だけれど、実は意外に正義感が強く人間味あふれる人物ではないのだろうか。だからそれが今日見る多くの作品にも表われているのではないだろうか?映画の中のゴヤ自身も、うまく表現されていたし。(助演ハビエルの存在感のほうが大きいのだが。) これは「裸のマハ(2002年 日本)」でも同じ。
ミロス・フォアマン監督を調べてみると、「カッコーの巣の上で(1975年)アマデウス(1984年)」なるほど。べテランやん☆

とにかく。全体的にセンスがよかったのは、「モディリアーニ」。キャストの味が素晴らしいのは「宮廷画家ゴヤは見た」。
ただ、気持ち悪かったのは「クリムト」 けれどクリムトが琳派に影響を受けていることや、クリムトの友人。エゴン・シーレという画家にさらに興味が湧いてしまった。それだけでもプラスかな。
大阪天保山のサントリー・ミュージアムで、クリムト・シーレ他のウイーン世紀末展が、開催されている。クリムトとシーレの展示作品はほんの少しなのだろうけど、ぜひ覗いてみたくなった。

結果。欲がなく、容量も悪く、生涯一人の女性を愛した「モディリアーニ」に、祖父を重ねて一票というところかな。 

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はじめてのスピルバーグ☆ (たまに映画10)



ジョーズ(1975年)
未知との遭遇(1977年)



どちらも劇場公開されてから、もう30年以上もたった映画なのだ。今ではファイナル・カット版やらプレミアム・コレクションやら、いろいろ出ていてどれがどれだかわからない。一体どう違うのか。。

「ジョーズ」で思い出すのは、これがお正月映画だったということだ。
当時私は小学4年生だった。まだ観たい映画を「自ら観に行く。」というのではなくて、これは「家族で話題のお正月映画を楽しみに行った。」という、きっかけは、ごく普通に微笑ましいものだったのである。

京都にまだ映画館が多かった頃、美松第一、第二という映画館が、新京極通りを東に入ったところにあった。
映画館は当時、今のように「完全入れ替え制」ではなく、立ち観もあたりまえ。観たい人は観たいだけ、同じ映画は一日に何度でも鑑賞O.Kという時代だったのだ。
なので、この映画は長蛇の列を家族で並んだ記憶がある。後にも先にも、映画を観るために並ぶといった行為は、この映画でしか記憶にない。

並んでいる間、館内ではいよいよジョーズのラストシーンであろう。メガホンを持ったお兄さんが、「もう終わりますから、押さないで一列にゆっくり進んでください。」とか、なんとか言っていたような気がする。
それでもやっとの思いで入場した映画館の中は入れ替え制では無い為、家族4人の座る席はない。
スクリーンを見あげると、今まで楽しそうに泳いでいた女性が急に海中に消えた。

場内を観ると、上映の途中から入場したのか、やっとひと通りストーリーを観終えたであろう人が、一人、二人と立ち上がる。
母は目を凝らして、その空いた席にすかさず、荷物を置く。
「さ、あそこ空いたから、座りよし。」 妹が座り、そして私が二度目に空いた席に座る。妹と父は隣同士に座れたけど、私と母は別々の席だ。
そのラストシーンまで、ただただ孤独な座席で、10歳の私は映画を最後まで観終えたのである。

これはもうトラウマだ。(笑)

造り物であるにせよ、8メートルもある巨大鮫だとか、人が食いちぎられるシーンだとか、当時の私はすべて本物だと思っていたのだ。だからその衝撃的な思い出は、いやというほど脳裏に焼き付いている。
鮫を観るとジョーズを思い出す。横柄な態度である人や悪い人は、まず鮫に食われてしまうと思っている。

少し大きくなって、「あれは造り物の鮫だよ。」と、わかった時、ウルトラマンは実は人間の「被り物」だと知ってしまったように、ひたすら子ども心の落胆は大きいものだった。


スピルバーグが次に監督した「未知との遭遇」、これもかなり話題であった。真っ先に「行こう」と言い出したのは、今度は父のほうである。父は後に創刊される「ニュートン」も愛読するくらいであったので、この映画に飛びついたのは分からなくもないが、今、SF映画嫌いの私は、実はこれが最初で最後に観る「SF映画」ではなかったかと思う。
この映画で印象に残ったものは、宇宙人とコンタクトを取るわずか5音のシンセサイザー音と、「We are not Alone 」という、短い英文。
そんなこと、映画で言われなくてもあたりまえやん。と、子どもの私はもうすでにスピルバーグに冷め気味であったような。



この映画でともに出演している、「リチャード・ドレイファス」は、先に紹介した映画「アメリカン・グラフィティー」でも、主演を演じている。なかなか味のある俳優さんである。

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映画は夢☆そしてパラダイス (たまに映画9)

ニュー・シネマ・パラダイス(原題Nuovo Cinema Paradiso 1989年)

あまりにも有名すぎる映画なので、現代となってはレンタル屋さんの陳列棚で「貸し出し可」となっていても、手に取らない人も多いだろう。私の友人もその一人だ。「これ、すごくいいよ。」と、何人もの人に勧められると、逆に観る気が失せてしまうらしい。そんなあまのじゃく的な気持ちは私にもよくわかる。そして、そういう人もきっと未だに多いのではないだろうか。

こちらは実は京都では、ミニシアターで上映されたものである。1988年河原町三条上ルの朝日会館に朝日シネマが開館された。(2003年に閉館)私はその半年前に、京都市民ではなくなってしまっていたので、実は朝日シネマは一度も利用したことがないのだ。

1989年、友人たちより一足早く、慣れない育児に明け暮れていた私は、実家に帰省していた時、妹のベッドサイドに貼ってあったA4サイズの予告チラシで、この映画のことを知ったのである。後にレンタルビデオで観たのは、完全版前の劇場公開(カット)版である。完全版、劇場公開(カット)版。こちらは、カット版でも十分優れている作品だし、むしろ、アメリカや日本にはカット版のほうが向いているのではないだろうか。

ひとこと。映画好きならぜひ観てほしい、いや観なくてはいけない映画だと思う。
完全版がレンタルされ始めた頃のことだ。何度も観たいがオリジナルビデオを買うお金はなく、(レンタル料さえも当時は7泊8日で500円くらいだったように思う。)しかもVHSテープのコピーはできなくて、考えたあげく、家庭用8ミリビデオカメラ
(89年製のSONY ハンディカム)に出力し、8ミリテープで録画保存したくらいだ。なので前半120分、後半53分に分かれてしまった。(8ミリテープは最長120分しかないため。)
懐かしくて、もう一度観よう。(実はその後何回も観ているのだが。)100円だからレンタルでもいいやと思い、DVDで観るのは初めてなのもあって、今回は借りてきたのだ。陳列棚には2本置いてあったが、やはり誰も借りていなかった。


ラストシーンを知っているがゆえに、冒頭シーンから涙の嵐である。私が思うに、
70%以上はエンニオ・モリコーネの挿入曲が涙を誘い、映画を絶大なものにしているのではないだろうか。
そして映画の中のイタリア人気質。明るいイタリア人。女はよく働き、男はよく遊ぶ。そして人情に厚く、いたずら好き。そんな映像が実によくイタリア人の個性を彩っている。

昔ギリシャに旅行した際、現地にもう何十年も在住している日本人女性が、「イタリア人には気をつけてくださいね。」と、移動するたび言っていたのを思い出す。自分の荷物を一時も手放すな。という注意事項だったのだが、手放した荷物をイタリア人は軽く持っていってしまうらしい。フェリーの中でも、「あ、あれはイタリア人の団体だからね。」と、念を押されたほどだ。大事なものを、一時でも手放すほうが悪いということなのだろうけど、いまから思えば笑い話だ。

とにかく、こんなに涙する映画の中でも、イタリア人はひたすら明るい。私はイタリアブランドのファッション(とくにバッグ)も一番好きだし、食べ物も好きだし、イタリア人も大好きだ。ひょっとしたら、オールマイティにセンスのいい人種なのではないだろうか。

このように、映画の中に敷き詰められる、イタリア人のセンス。笑い。人情、恋、愛・・そして音楽。ほんとうに素敵である。この映画は世界が認めたイタリア映画なのである。




「自分のすることを愛せ。」
アルフレードが故郷を離れるトトに最後に残した言葉である。私自身もそうだが、実は息子と娘に、心の中でいつも贈り続ける言葉でもある。




※今朝、偶然だが昔の恋人の夢を見た。そして、この映画を観た。

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青春の甘美と苦悩 (たまに映画8)

アメリカン・グラフィティ(1973年)

私の映画好きは息子に遺伝し、洋楽好きは娘に遺伝したといってよいだろう。

息子が田舎を離れ、都会で暮らし始めたことで、一番喜びを得ていることは、自転車を少しこげば映画館にたどり着けるということかもしれない。
その息子から時折来るメールには、映画のタイトル文字が含まれることもよくある。

「○○ありがとう。アメリカン・グラフィティていう映画よかったで。」
先月末に送られたメールはたったこれだけだっだ。


男の子はルックスに自信がなくても、「頭脳、運動神経、本を読むこと、音楽を聴くこと、映画を観ること」これらの二つ以上を備え、かつセンスがよければある程度、女の子には困らないと思うのだ。私の持論だが。
(※だけどすべてがパーフェクトであると、逆にうさんくさい。)

さておき、こんな映画をどこで調べてきたのか、1973年は彼が生まれる26年も前の話である。
近くのレンタル・ショップにはなく、少し車を走らせて別のレンタル・ショップまで借りにいった。

F・コッポラの制作であり、ジョージ・ルーカスの「興行的に最も成功した映画」と言われたものだ。
舞台はサンフランシスコ郊外の田舎町。110分のシーンは青年たちの旅立ちまでの時間「ワンナイト」だけである。オールディーズが全編に挿入され、現在のアップテンポの映画と比べると、やや退屈になるかもしれない。
だけど、大人が観ても、「キュン」となる、彼らと同じ頃を思い出す。それは二度と帰らない、甘くせつない青春モノだ。
少し観ていて、主人公の「競争は嫌いだ」というセリフに、ふと子どもの頃の息子を思った。ひょっとしたら自分を重ね合わせたのだろうか。


田舎町にとどまる者。都会へ旅立つ者。4人の青年たちの、「その後」がラストで公開される。

「競争は嫌いだ」と言っていた主人公。さて、未来の職業とは?







 

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○ネタは小学生なみ☆ (たまに映画7)



オースティン・パワーズ(1997年)

オースティン・パワーズ・デラックス(1999年)

オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー(2002年)



昨日、三作目の「ゴールドメンバー」を観終わって、これでオースティンを全て制覇?したことになった。
たまには、流すだけのおバカな映画もいいものである。
とうとう娘に「お母さん下ネタ好きなん?」と聞かれた。

「下ネタでしか笑いを取れないヤツは大っ嫌いだけど、これは小学生なみの下ネタだからいいねん。」
ということである。そう。例えて言うなら、マイク・マイヤーズのギャグは、小学生の時に見た「ドリフなみ」なのである。(※ドリフ=ドリフターズ)
実際下ネタではなく、60年代のファッションと、当時の感覚が好きだからというのがこのシリーズを見続けている本当の理由であるのだが。

ビートルズが淡く脳裏に残る私たちの世代は、モノゴコロ着いた時にはまわりは高度経済成長期。ファッションも高度成長期。
お兄さんたちのファッションは、フリル・柄モノ当たり前の時代だったのである。

余談だが、ニューヨーク・モードのデザイナーで日本でも人気の高い、マーク・ジェイコブス。彼は私と同世代であり、私は彼のデザイン感が大好きである。どこか懐かしい雰囲気を持っており、やはり幼い頃に見たり感じたりして受けた影響が、今のデザインとして生かされていることが多いらしい。
カジュアル系で価格も比較的リーズナブルな、「Marc By Marc Jacobs」は京都では伊勢丹と、大丸にしか入っていないが、私はよく覗く。
たいていは「あと、10歳若ければなぁ~。」と、つぶやいて、ウィンドウショッピングのみで終わってしまうのだが。

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戦争の無意味と狂気 (たまに映画6)

地獄の黙示録(原題Apocalypse Now 1980年)

プラトーン(1986年)



私は洋画onlyの映画好きであるが、基本ジャンルは特に拘らない。唯一つ、しいて言うなら、Space・・宇宙モノが嫌いだ。未来。想像の世界を型にハメてしまうことが嫌いなのだろう。たとえば宇宙人がE.Tの姿カタチなんだということを、死ぬまで思ってしまうと、自分という人間がつまらなくなる。



さておき。こちらはどちらもベトナム戦争をベースにした映画だ。地獄の黙示録は公開当時、大流行だったけれど、女子中学生が喜んで観に行くような映画ではなかったため、私もリアルタイムでは見逃している。
どちらもアカデミー賞を何部門か受賞しており、地獄の黙示録はカンヌでパルムドールを受賞した。ベトナムの真実を綴った作品である。

おもしろいのが、地獄の黙示録では主演がマーティン・シーン。プラトーンではマーティンの二男であるチャーリー・シーン(ウォール街、メジャー・リーグ)が演じているのだ。
―黙示録の中のマーティン・シーンは、撮影当時35―36歳。アメリカ人には珍しく童顔で小柄であるから、とても二人の息子、当時14歳のエミリオ・エステヴェス(アウトサイダー)や11歳のチャーリー・シーンがいるとは思えない容姿なのである。
マーティンは本来ならば主役でシーンの殆んどを占めているにも関わらず、小柄で童顔であるがゆえ、大物、マーロン・ブランドやローバート・デュグアル(ともにゴッドファーザー)の圧倒的な存在感に隠れてしまっているのだ。
だけど親子の中では、ダントツにマーティンが一番ハンサムであり、私好みである。そして二男のチャーリーはそっくりである。ちょっと写真をだしておこう。
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その恵まれた容姿にも関わらず、彼の代表作はこの地獄の黙示録だけである。ハリウッドでは「童顔」というのはひょっとして、マイナスポイントなのかもしれない。

―黙示録はC.Gもない時代に、非常によくできた映画であり、各戦場シーンの凄まじさには目を見張るものがある。そしてベトコンを作ったのはアメリカ人であると言い切るフランス人。サーフィンをするためにヤシ林を焼き払い、銃弾を浴びせた上に手当をする・・。指揮官のいない戦場。そしてロックと死体。殺人をして昇給する彼ら。
戦争映画なのに、映像の中には子どもが数多く現れ、動物も多く見られる。これがコッポラの演出なのか。オープニングで流れる曲。ドアーズの「ジ・エンド」はクライマックスでも使われている。


まるで戦争の無意味さを主張しているかのように。

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アメリとシャネル☆フランス映画(たまに映画5)

どちらもフランス映画。であって、主演はオドレィ・トトゥ。




アメリ(2001年)

ココ・アヴァン・シャネル(現在公開中)


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独身時代から私は、映画は一人で観るほうが多かった。と、いうのも勤め先の会社からの帰り道は当時は映画館であふれていたからである。友人や恋人と約束して観る映画もよしだが、お互い観たい映画が一致しない時もある。(※恋愛初期はよく主人のシルベスター・スタローン好きに付き合ったものだが、今ではまったく考えられない。)

そんな時は一人で観るほうが、断然お気楽であり、素直に感情移入できるのもあって、結婚するまでの大方は一人で観ていたと思う。

けれどこちらの映画、「アメリ」は家族4人で。(当時長男は13歳。長女は10歳くらいであった。)
現在公開中の「ココ・アヴァン・シャネル」は、仕事仲間の熟女3人組でいざ、出陣したのだ。(※38歳シングル、42歳バツ一、そして私。)
女性もこれくらいの年齢に達すると、実にイロイロあったりする。人生半ば、みんな愛も、恋も、涙もたくさん流してきたのだ。でも、夢はいつも同じ。女性にとってシャネルは夢である。
「シャネルは買えないけれど、映画くらいみよう。」と、言うことで意見が一致した3人だったのである。


結果から言って、「アメリ」は○ 「ココ・アヴァン・シャネル」は×だ。
アメリはオシャレだし、家族でも楽しめた、フランス映画らしくディテールにこだわるところ。
子どもは特にそういうところを見逃さなかったりする。それにフランス人のユーモア・センスはかわいい。
ココ・アヴァン・シャネルでは私は半ば映画館で寝てしまい。友人の一人は、「ただの恋バナ(恋愛話、小説)」かよ~。と、言って嘆いていた。
シャネルは夢。である、もっと、シャネルのファッションが映像化されているものだと期待して行ったのだから、ほんとうにただの「恋バナ」にガッカリしたのである。
アメリであんなにキュートで可愛かったオドレィも、ただのおばさんになっていた。


みんなで観る映画もたまにはいいかも。
けれどこの後、何本かお誘いされた映画は嗜好が合わず、すべて断っている。昔から付き合いが悪いヤツ(私)だったけれど、歳を取ってもこの辺はまったく変わらないのだ。(笑)

 

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